80年の歴史とともに。農業で”地域の風景を守る”。

「日迎の里(ひむかえのさと)」。何百年と前からそう呼ばれてきた朝倉市枇木(はき)町は、筑紫平野の東端に位置し、南向きの斜面が多いことから、その名の通り太陽の恵みを最大限に享受できる場所にある。そうした枇木特有の地形や環境条件を最大限に活かしながら、「林農園」は、梨をはじめ果樹を中心に栽培する。先祖代々受け継がれてきた、微生物を活かした土づくり、そして減農薬・無化学肥料で真心こめて栽培する梨は、ざゅっと実の詰まった食感とまろやかで上品な甘さが特徴だ。



10年の歳月を経て。

林農園で栽培する梨は6種類。中でも、地域の名が冠されたオリジナル品種「日迎(ひむかえ)」は、美味しさだけでなく、その誕生秘話もひっくるめて、長くファンから愛され続けている。

ストーリーの始まりは、2代目の林さんの父が梨の研究のために、全国の産地を回っていた頃。関東で「日の出」という品種の枝を譲り受け、朝倉に帰るやいなや、すぐに既存の梨の枝に接ぎ合わせた(接ぎ木と呼ばれる繁殖技術)。そこから実が成るまで待ち、その実の種を今度は土に植え替え、元気に、そして何より"美味しく"育つものを選別していく。このプロセスを何度も何度も繰り返し、10年の歳月をかけて誕生したそうだ。

林さん:「『日の出』の子供という意味合いと、この地が『日迎の里』と呼ばれていることから、地域に根差すようにという想いで『日迎』と名付けました。皮が厚いので、日持ちが良く、冷蔵貯蔵で熟成することで豊潤でフルーティーな香りが増すのが大きな特徴です。果肉がきめ細かくざゅっと詰まっているので、食べ応えのある食感もお客様から好評です。」

『日迎』という名の縁起が良いこともあり、お正月やお歳暮の贈答品としても喜ばれる逸品だそうだ。



山間の荒地をゼロから開墾

林農園で梨栽培が始まったのは、なんと80年以上前。当時は別の作物の裏で栽培していたそう。その後、半世紀が経った頃である。高速道路の建設のため、やむなく農地を移さざるを得なくなった。ところが、新しい土地はなかなか見つからず、山間の空閑地をゼロから開墾することに。第二の船出は、家族総出での石拾いから始まったそうだ。

一方、寒暖差の激しい山中は、むしろ果樹栽培には好条件だと話す。

林さん:「中山間地帯の長野や山梨で果樹の生産が発達した理由と同じですよね。高低差によって梨の成長が段階的になり、収穫時期も微妙にずれてくれるので、自然と効率的な生産が可能になります。」

開墾を機に、梨の栽培をメインに切り替え30年、数々の試行錯誤の末、現在では梨の栽培では極めて難易度の高い減農薬・有機栽培が可能になった。



年に一度の一大行事。

春になると、梨の美しい白い花が山の斜面一面に咲き誇る。農地が広大なだけに、収穫作業はその分大がかり。毎年、およそ2ヶ月間にわたり、手首を腱鞘炎にしながら、手作業で収穫を続けるという。

林さん:「果樹は年に一回の収穫なので、"待ちに待った収穫"という意味で、やはり高揚感が大きいのですが、同時に大変さも集中します。また、収穫時期に台風がくると全てダメになるので、毎年祈りながら収穫していますね。去年の台風も直撃ではなく、かすめただけですが、1トン弱の梨が落ちました。」



「早く大きく」ではなく、「ゆっくり濃密に」。

さらに、低農薬の有機栽培となると、栽培過程においてもその手間は計り知れない。

林さん:「果樹は、雨や虫が原因で病気になりやすいので、毎日欠かさず状況を観察しています。病気の予防として、どうしても農薬が必要なタイミングにのみ、最小限で使用しています。農業の役割の一つは第一に食べものをつくること。そして、食べものは"人の源"なので、我々生産者がしっかりと本当にいいものをつくらないと、人が育っていかないですもんね。」

林農園では、剪定した枝をチップや炭の状態にして土に戻すなどにより、"微生物の住む環境を整える"土づくりを意識している。これにより、化学肥料を使用せずとも健康的な果樹が育つ、肥沃な土壌がつくられている。

林さん:「化学肥料を使うと確かに急激に育ちます。ただそうして、急激に大きくなった果樹とゆっくりと栄養を溜め込んで大きくなった果樹とでは、旨味や甘味の蓄積量が違うので、味も全く違います。手間がかかり、大変な作業を伴いますが、お客様の『美味しい』というお声が嬉しくて、続けられています。」



「この風景を"農業で"守りたい。」

林さん:「この近所は昔から梨の産地で、祖父の代で梨農家は40軒ほどいました。それも現在は我々を含め3軒のみと、担い手がいなくなり、かつてのような"産地"と呼べる状況ではなくなってしまいました。」

もともとは造園・設計の仕事をしていた林さん。いつかは家業を、そして父の「日迎」を継ぐことを念頭に、勤続して8年が経った頃であった。幼い頃から見てきた故郷の美しい風景がゆっくりと損なわれていさつつあるのを肌で感じていた。

林さん:「ある日、実家に帰ると耕作放棄地が増えていて、このままだと藪になっていくのが予想できました。自分が小学校低学年の年に、家族全員でゼロからつくった農場なので、想い出の詰まった場所ですし、そうした危機感から枇木に戻り、この風景を"農業で"守っていくんだと決心しました。」

「食、農、地域」をテーマに。

今後のテーマは「食、農、地域」と話す林さん。「食」に関しては、低農薬・無化学肥料での安心安全な栽培をより一層究めつつ、加工品を展開していくとのこと。

そして、「農」に関しては、農業人口を増やすこと。果樹は苗から植えて10年、20年という時間軸の世界だからこそ、今のうちから次世代の育成に取り組む必要があると話す。

林さん:「果樹の生産者が辞めると、果樹の木は切られ、ただの山になります。結局、先ほどの3つのテーマはどれも繋がっていて、農業の一部分である田舎の風景を守るためにも、農業人口を増やしていく必要があるということですよね。」

最後に、「地域」に関しては、就農時から変わらず。「農業で地域を支え風景を守っていくこと」に取り組んでいく。

林さん:「現在も、水路の維持が難しくなってきていることが地域の課題としてあります。これについては"地域を巻き込んで維持しましょう"という取り組みをしています。ただ、こういった問題は全国の中山間地で起きている問題だと思います。地域の問題は国全体の問題。世界的な食糧事情というマクロな問題も、枇木が抱えるミクロな問題も、深いところでは本質は同じなのかもしれません。」

最近では、保育所と連携した食育体験のイベントなども積極的に開催している。今後も、就農当初から変わらない「農業で地域の風景を守りたい」という想いのもと、地域を主導して、ふるさとの情景を未来へとつないでいく。

文:田崎 琴乃

写真:emma. Inc.